神保町の喫茶店

学生時代に通っていた喫茶店、名前は田園かウィーンか忘れた。昔の場所にもうない。

神保町で編集者に会う時は、いつも、さぼうるを指定する。一番有名だしわかりやすい。

実は、神保町にはさぼうる以外にも喫茶の名店は沢山ある。
ミロンガ
ティシャーニ
柏水堂
ラドリオ
デプリマペーラ
トロワバグ
キャンドル
古瀬戸
エース
万惣
舎蔵
壹眞
伯刺西爾

通に言わせるとこういう序列になるらしい。ボクは、一度、さぼうるが、1も2も満席の時、はす向かいのTAMTAMへ入った。フレンチトーストが絶妙の味だった。連れはパンケーキにしたが、なかなかの味だったそうだ。

ぼうこうガン手術がすんだ

この病院だけで5回目の手術だ。特に、ボクは血管が弱い。油断するとすぐ血栓がつまる。
で、バイアスピリンが手放せないが、手術の前一週間は、血が止まらなくなるからバイアスピリンは禁止だ。

この手術で切開して採取したガン細胞の精密検査の結果が判るのは9月13日だ。

9月9日にボクの編集者と会うつもりだが、彼に結果報告は出来ないことになる。

座死待つ地方銀行

例えばなしで、よくイギリスでは、普通銀行の行員は社会の底辺から2番目の職業と言われる。シアターの下足番より、地位が低い。

他人の金を出し入れする仕事なんか、金を預かるだけで、なんのりえきもあたえてくれない。つまり、ブーツやコートを預かるだけと何ら変わりないというわけだ。0に近い預金利息も良くないけど。


ボクが昔、勤めたど田舎の地方銀行が最近になっていた。やっと投資銀行として顧客貢献に目覚めたようなことを言い出した。顧客の資産運用に貢献しようと言う意識に目覚めた。
そして、営業戦略を変更した。と言うふうなことをテレビCMで言い出した。

しかし、騙されてはいけない。経営者は十五年も同一人物だし、店舗数も人員構成も商品の品揃えも変わらない。
人体に例えるなら、動脈硬化の末期症状だ。時代遅れの不適格なトップは、座して死を待つより、自ら辞して、組織の命を救うべきだ。無能なトップと無力な経営陣が交替すれば、生き残る術はあるはずだ。

この銀行が投資銀行に変わる前に亡くなる可能性をボクは心配する。

横山光輝「阿魔野邪鬼」の初出本を発見

横山光輝初期作品集 第2集 風の天兵 (横山光輝愛蔵版初期作品集 第 2集)


昭和33年4月号の少年ブックに「風の天兵」と言う時代劇忍者マンガを連載しているが、横山光輝さんは、そこで初めて「阿魔野邪鬼」と言う片目の総髪の剣客を登場させている。
これが、後に週間少年サンデーの「伊賀の影丸」に登場する甲賀七人衆の頭目「阿魔野邪鬼」の原型である。

伊賀の影丸」では「阿魔野邪鬼」は不死身で年齢は二百歳とされている。剣、槍、半弓、乗馬の名人で武芸百般に秀でてはいるが、手裏剣を投げたり、高い塀の上にジャンプしたり、木から木へ飛び移ったりする外は、特に忍術と言うようなものは使わない。強いて言えば「不死身」こそが、邪鬼に取っての得意の術と言えよう。

貸本版 伊賀の影丸 限定版BOX



さて、昭和33年4月号少年ブックに初出の「阿魔野邪鬼」であるが、忍者ではない。単なる凄腕の武芸者として描かれている。この作品のタイトルにもなっている「風の天兵」は甲賀忍者である。主君の仇討物語である。

後年の横山光輝さんの大ヒット作「伊賀の影丸」が公儀隠密で将軍家に絶対服従の命がけの宮仕えであることと似ている。
「阿魔野邪鬼」は当初、「風の天兵」で隻眼だったのが、「伊賀の影丸」では両目が見えるようになり、ほぼ、初出と同様の冷血無比のキャラクターのまま、「不死身」という能力を身に付け大活躍をするのである。


少年サンデー 1966年 1月号 伊賀の影丸 少学館


何しろ、「不死身」だから、何度殺されても生き返る。そういう、設定の下で、「伊賀の影丸」シリーズ中ではちょくちょく現れては影丸にちょっかいを出すが、決着せずにシリーズは終了する。だけど、当時のボクは、「不死身」の邪鬼見たさに少年サンデーを買い続けたと言っていいだろう。その邪鬼の初出本を見つけた。その時から61年が経過したから、「阿魔野邪鬼」は現在、261歳である。不死身だから。
ちなみに、「風の天兵」も、「伊賀の影丸」も不死身じゃないから、とっくに死んでいるに違いない。

伝説。ガロ「ネジ式」ばかりがつげ義春さんじゃねえぞ!

「ぼくら」の昭和32年1月号に載ったつげ義春さんの探偵マンガです。ボクは3歳になる前なので字は読めない。でも、絵だけは覚えている。作者が誰かも知らない。なのに絵だけは覚えていて、偶然、そのマンガがつげ義春作品だったのは、感慨深い。
それにしても、「ぼくら」を買ったのは誰だろう?父親も姉(五歳)も買わないと思う。
当時、家族七人。父母。ボクと姉。祖父母。嫁入り前のおば(25歳だったので、当時は行けず後家と言われたらしい。昔の人はむちゃくちゃ嫁入りが早かった)。
このおばとも貧乏長屋で同居していた。戦後の教育なので、完全にとんでいた。
このおばがボクにマンガを買い与えたかも知れない。62年くらい前の話だ。

純烈酒井リーダー激怒!「帰れ‼くそばばあ!ダフ屋からticket買うなゆうたやろ!」

純烈 酒井一圭 ポスター

純烈は、白川裕二郎のボーカルと、酒井一圭のプロデュースで紅白歌手にまで上り詰めたとボクは個人的に思っている。もちろん、辞めた友井君、林田君を含め、小田井さんや後上くんの力によるものだとも思っている。だけど、リーダーが、酒井君であったことの幸運を、純烈のメンバーとファンは感謝すべきだろう。

努力しても芽の出ない歌手や俳優は五万といる。時間はかかったけれども純烈は十一年間と言う下積みを乗り越えてついに日の当たる場所に出た。それはレコード会社やスタッフの力もさることながら、何をおいても純烈のリーダーが酒井くんであったことによるものだ。


その酒井君が最近、激怒した事件があった。現在、純烈のコンサートのチケットは入手が極めて困難である。まず、ファンクラブの会員となり、チケット購入のための優先権を得ることがベストだ。そのうえで、温泉ライブだろうと、ディナーショーコンサートだろうと、地方の後援だろうと、電話予約をガンガンする方法しかないだろう。


その電話予約にしても、解禁日の解禁時刻に電話しても、まず、スムーズに電話がつながることはない。地方の市民会館のコンサートの時など、スマホで200回ほど、電話してやっと、チケットが取れた。ホテルのディナーショーは、午前九時受付開始から40分間、電話をかけ続けてやっとつながった。苦労したのでランチショーもディナーショーもチケットを買ってしまった。


純烈のファンとして一番有名な72歳の婦人は大病を患ったが、日本全国、純烈の追っかけをしているうちに病は安定して日々充実した生活を送っているという。仮にKさんと呼ぶ。Kさんはこれまで純烈のグッズやCD購入、追っかけの旅費、宿泊代で数千万円ほど費消したと豪語する。ボクはKさんの生き方について数千万円はともかく、好感を持つ。72歳でも一病息災で温泉アイドルに熱を上げたっていいじゃないかと思う。ボクより年上の婦人が病に負けずに元気で頑張って生きているのがいい。

そのKさんにしてからが、もちろん、ファンクラブの会員でチケット購入の優先権はあるにせよ、他のファンと同じ苦労をしてチケットを購入している。解禁日、解禁時刻に、スマホ片手に何十分も何百回も電話して苦労してチケットを買っている。それが平等でいいんじないかとも思う。


ところが、最近、このチケット購入をめぐって事件が起きた。ダフ屋が、介入していたのだ。一枚三千円のチケットをネットで一枚三万円からオークションにアップしたのだ。純烈の事務所やメンバーは、ネットで買わないでくださいとアピールした。ダフ屋から買うのは違法行為です。反社会的勢力に資金を供与するのは犯罪です。本当の純烈のファンに、チケットが回らずに、不公平です。と、ことあるごとに訴えてきた。

あるマダムがツィートした。「そうは言っても電話してもなかなか購入できないからネットオークションで35000円で落札したわ。」違法行為です、犯罪です、不公平ですねと叫び続ける純烈のメンバーの意思を無視したのだ。
違法チケットに手を出したマダムのフォロワーは激減した。逆に抗議のツィートが激増し炎上した。このマダムは二度と違法チケットに手を出さないとフォロワーに謝罪した。


そして、純烈の事務所もメンバーも動き出した。あるコンサートの会場にネットオークションで入手したチケットを持ってきた客に対して運営会社が入場拒絶したのだ。運営側は違法チケットのナンバーをつかんでいたのだ。
「そのチケットでは入場できません。」「違法行為ですから。」「お引き取りください。」

もちろん、ネットオークションで十倍以上の高値で購入したマダムたちは不満たらたら、大声で騒ぎ始めた。たまたま、コンサート会場入り口を通りかかった純烈リーダーの酒井一圭氏がそれを聞きつけた。

違法チケットマダムは一斉にリーダーに訴え始めた。

「おかあさんたち、御免やけど、ダフ屋とか、ネットオークションとかでチケット買うのは止めてって、俺らがゆうてきたの知ってんのやろ?」
暴力団やダフ屋から買うのは犯罪やてゆうてきたやろ。苦労してチケット並んで買いに来てはる人に対しても不公平やろ。」


それでも、違法マダムたちはますます、声高に抗議する。
とうとう、リーダーがブチ切れた。


かましい‼黙れ‼くそばばあ‼あかんもんはあかんのじゃ!ダフ屋からチケット買うようなやつは純烈のファンとちゃうで!帰れ‼カエレ!二度と来るな‼」


けだし正論である。ファンはあんたを全面的に支持する‼
熱いぞ!酒井一圭あばれはっちゃく。ガオ・ブラック。いい~人なんだ。

 

 

   この話はフィクションです。

 

 

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大阪ロマン

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ボクが生まれた貧乏長屋と傲慢不遜な高利貸しの娘の思い出

 

生まれた町の、10歳まで住んだ長屋を見に行ったら、更地になっていた。聞けば、火事で数年前に焼失したとか。残念だが仕方ない。
長屋のはずれの空き地に見覚えのある欅の巨木が昔のままにそびえ立っていて、それがかろうじて、その近くでボクが生まれて10歳までそこで生きていた証のように思えた。

もうひとつ、欅の巨木と同じように木造二階建ての高利貸しの家が往時と同じく長屋のあった場所の反対側に立っていた。しかし、こちらの方は、住む人もなく、壁土は剥がれ落ち、雨戸の板は所どころが割れていた。
ボクは高利貸しの娘のひねくれた顔を思い出した。早苗と言うその高利貸しの娘は、ボクと姉に、「お前らの母ちゃんは結核患者や。表を出歩くな!」などと言い、虐めた。長屋に黄さんと言う一家がいてバタヤをしていた。娘さんは美絵ちゃんと言い、目のクリッとした美少女だった。
ボクと姉と美絵ちゃんが遊んでいると、早苗が来て、美絵ちゃんを「朝鮮人の子」と罵った。姉が怒って早苗を叩いたこともあった。

早苗の家族は尊大で長屋の住人を見下していた。兄は国立大学の学生だったが、うつ病を発症し鉄道自殺した。

早苗の母はいつも着物を着ていた。着物姿で首に青筋立てて、長屋の住人や町内の人に喧嘩をふっかけては、ヒステリー状態になり、自宅へ逃げ帰っていた。

高利貸しだった早苗の父親は、東映の時代劇の悪役俳優にも、大相撲の幕内力士にも似ていて、ボクは三人とも、大嫌いだった。

その高利貸しの、当時では豪邸と呼んで良い木造二階建てが、現在では住む人もなく荒れ果てていて今にも崩れ落ちそうだった。
あの一家はどうしたのだろう。早苗の兄は早くに亡くなり、父母も生きていれば百歳くらいのはずだ。死んでいても不思議はない。
あの早苗も生きていれば七十歳近い。今も生きていて周囲に毒を巻き散らかしているのだろうか?崩壊寸前の実家のことは知っているのだろうか?

恩讐の彼方に時は過ぎてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生まれた町の、10歳まで住んだ長屋を見に行ったら、更地になっていた。聞けば、火事で数年前に焼失したとか。残念だが仕方ない。
長屋のはずれの空き地に見覚えのある欅の巨木が昔のままにそびえ立っていて、それがかろうじて、その近くでボクが生まれて10歳までそこで生きていた証のように思えた。

もうひとつ、欅の巨木と同じように木造二階建ての高利貸しの家が往時と同じく長屋のあった場所の反対側に立っていた。しかし、こちらの方は、住む人もなく、壁土は剥がれ落ち、雨戸の板は所どころが割れていた。
ボクは高利貸しの娘のひねくれた顔を思い出した。早苗と言うその高利貸しの娘は、ボクと姉に、「お前らの母ちゃんは結核患者や。表を出歩くな!」などと言い、虐めた。長屋に黄さんと言う一家がいてバタヤをしていた。娘さんは美絵ちゃんと言い、目のクリッとした美少女だった。
ボクと姉と美絵ちゃんが遊んでいると、早苗が来て、美絵ちゃんを「朝鮮人の子」と罵った。姉が怒って早苗を叩いたこともあった。

早苗の家族は尊大で長屋の住人を見下していた。兄は国立大学の学生だったが、うつ病を発症し鉄道自殺した。

早苗の母はいつも着物を着ていた。着物姿で首に青筋立てて、長屋の住人や町内の人に喧嘩をふっかけては、ヒステリー状態になり、自宅へ逃げ帰っていた。

高利貸しだった早苗の父親は、東映の時代劇の悪役俳優にも、大相撲の幕内力士にも似ていて、ボクは三人とも、大嫌いだった。

その高利貸しの、当時では豪邸と呼んで良い木造二階建てが、現在では住む人もなく荒れ果てていて今にも崩れ落ちそうだった。
あの一家はどうしたのだろう。早苗の兄は早くに亡くなり、父母も生きていれば百歳くらいのはずだ。死んでいても不思議はない。
あの早苗も生きていれば七十歳近い。今も生きていて周囲に毒を巻き散らかしているのだろうか?崩壊寸前の実家のことは知っているのだろうか?

恩讐の彼方に時は過ぎてゆく。