ボクの同級生で地方銀行の役員をしている人がいる。彼がその昔、知人の披露宴に呼ばれた時のこと、来賓に第一勧業銀行(現・みずほ銀行)の支店長がいた。その支店長は祝いに一曲歌った。突然、披露宴会場は静まりかえった。歌い終えると会場は大騒ぎになった。拍手の嵐はいつまでも止まらなかった。披露宴のお客は、なんと小椋佳の生歌が聴けたのだから。

小椋佳 生前葬コンサート [DVD]


小椋佳さんの『生前葬コンサート』がNHKテレビで放送された。現在70歳。澄み切った伸びやかな歌声は健在だった。小椋佳さんは東京都出身、東京大学卒業後、第一勧業銀行に入社。証券部次長や営業店長を勤めた。支店長時代に浜松市のゴルフ場のコースレコードを出したことがあるそうだ。

その同級生は、小椋佳さんの印象について次のように語っていた。

 「物静かな人で紳士。とても歌手と銀行員の二足のわらじを履いてるようには見えない。」

テレビで歌っている小椋佳さんを見てふとそんな話を思い出した。

小椋佳さんが、なぜ第一勧銀の浜松支店長と言う重責を勤めながら歌手活動が出来たのか? 銀行員をしていた筆者の推測だが、彼はいつも自然体でポジティブシンキングだったのではないか、と考えている。第一勧銀と言うメガバンクの浜松支店長としての神田紘爾(本名・かんだこうじ)も、歌手としての小椋佳も、彼にとっては、特別な事ではなかったのではないか。そして、忙しすぎる銀行員として、時間の使い方の非常にうまい人だったのではないか。今から38年前、小椋佳さんが第一勧銀の証券部に勤務していた時、NHKホールで一回きりと言う条件でワンマンコンサートを引き受けている。そのコンサートの様子はNHKのカメラが一部始終を撮影している。

遠ざかる風景


 「今日は定時退行(17時に退社する事。普段はあり得ない)します。お先に失礼します。」

と、上司に挨拶する小椋佳さん。それから、会場に向かう。会場客席には、最前列の美空ひばりさんを初め、多くの歌手、芸能人が詰めかけている。超一流歌手が彼に注目しているけれどそれも彼にとって特に緊張するような事ではなかったようだ。

小椋佳さんと数々の曲を作った堀内孝雄さんも、後にインタビューに応え、こう語った。

 「曲作りの打合せのため、小椋さんに連絡をしたら、お昼の12時に第一勧銀本店近くの喫茶店で会いましょうと言われた。現れた小椋さんは、『僕は失礼してお昼ご飯食べます』と言ってカレーライスとコーヒーを注文した。そして食事をして、曲の打合せをして、一時前に銀行に戻って行った。さらりとやってのけたけど、とても時間管理の上手い人だと感心した。」

また、小椋佳さんの歌はサラリーマンに元気を与えると言われている。その理由は1971年(昭和46年・小椋27歳)に数多くの名曲が集中的に発表されている事にあると思う。小椋佳さんは生涯を通じてまんべんなく平均的に創作している。しかし、人生の前半の名曲は17歳から22歳まで(つまり学生時代)に作詞作曲している。

サラリーマンのうち団塊の世代の人達が「元気を貰った」と言うのは、彼らが小椋さんの歌を聴いて若い頃の自分を思い出すからだと思う。

『さらば青春』と歌いながら、過ぎ去った青春時代がよみがえってくるような気がしているに違いない。

彷徨