68年に「ねじ式」が発表されるや主人公の少年ふうの顔を真似て描く漫画投稿者が
随分と現れたそうだ。センセーショナルな漫画であったことは確かだ。
時に原稿をつげさんに見てもらいたいと持ち込む者もいたらしい。
池上遼一さんが上京する前つげさんの大ファンだったというのは有名な話だ。
しかし、どんなにつげ漫画のファンでも画風だけ似せてストーリーが伴わない作品ばかりだったようだ。
そんな時つげさんは
「どんな作品でも作者が表現したいことがきちんと読み手に伝わらなくては。どんなに絵がうまくても君の作品からは何を言いたいのかということが全く伝わって来ない。」
と言ってつげ漫画のファンてあろう投稿者を戒めたと言う。