早朝の救急車
住宅地の中に救急車がサイレンを鳴らしながら入って来た。わが家と同じブロック内の或る老夫婦の家の前に停車した。
私は古希だが、御夫婦とも私より10歳以上は年長者に見える。毎夕御夫婦で町内を散歩している。
奥さんはしっかりした足取りで雨の日も風の日も歩いている。御主人は杖を突きながら百メートル程の通りを一往復してさっさと家の中に入る。
時々、二往復、三往復させられている。奥さんが玄関の前に仁王立ちになってその様子を監督している。健康のため、歩行訓練を強いられているかに見える。
歳取ってかかあ天下はよいのですが女尊男卑で御主人は辛そうだ。
救急車に乗って運ばれていったのが御夫婦のうちのいずれか分からぬが、ご無事を祈るばかりだ。
「一番好きなコンビニ商品は?」
仕事の合間によくコンビニに行くが種類を問わずどのコンビニ本棚にも置いてある「コンビニ廉価本」とでもいうべき漫画本が好きだ。
昭和の売れっ子漫画家たちの復刻本や現在も連載中のコミックの集約本が面白い。復刻本では子供のころ読んでいてもう一度読みたいと思って書店に行ってもなかなか見つからないものがコンビニで復刻本として廉価で売られていたりする。結構、ニーズは高いらしくて自分で購入して読んだ後にネットオークションなどに出すとすぐ買い手がつく。
ときにセリだから購入価格より高値で落とされたりする。昭和の有名漫画家たちの本は人気が高いようだ。ちばてつや、手塚治虫、永井豪、横山光輝、石ノ森章太郎などなど。
それから、さいとうたかをのように作者は亡くなっているが作品の連載だけが未だに継続されている「ゴルゴ13」は今年で連載開始から56年目だというがコンビニ廉価本の売り上げナンバーワンであるらしい。
そもそも従来の、出版社が全国の書店に卸すというシステムから、さいとうプロのように原作者が自前の出版社経由で全国のコンビニにコミック専用の簡易本スタンドや本棚を置いて自社作品のコミック廉価本を販売する方法に切り替えた発想の勝利であろう。
たかが、漫画本であるから、大手の書店に出向いて注文するのも気恥ずかしいし面倒である。その点コンビニ廉価本はいい。気軽に立ち寄って廉価で手に入る。
一番好きなコンビニ商品はという言葉からコミックのコンビニ廉価本が浮かんできたが実をいうとコンビニのこういうシステム自体が好きなのかもしれない。たいていの商品が気軽で廉価で購入できる。
義妹のキャンサーについて
義妹には過去ずいぶんと手を焼いてきた。迷惑の掛けられどうしで腹の立つことも数々あったけれど、健康状態がここまで落ちてしまうと今更会って嫌味を言うなどは、したくない。
もし仮に危惧するようなことにでもなってしまったらと考えるとそっとしておいてやろうと思う。
義妹の連れ合いや母親などはちゃんと病人の世話をしてやれているのだろうかと考えたりもするが、それも余計なことなのかもしれない。
鍵のない引出しの実印と社判
昔話で恐縮です。
若い頃バイクに乗って銀行の営業に走り回っていた。
繊維の街として有名な地方都市に勤務したころの話。
ある縫製工場の社長は土地の資産家の息子で自分名義の不動産も複数所有している。
土地の言葉で「持ったはん」。要するに金持ちである。
稼業の縫製は当地で代々、真田紐の製造に従事していた親から引き継いだもの。
自分の代に関西の中堅婦人服ブランドの下請けとして事業転換して以来順風満帆である。
鷹揚な人物で誰にでもフレンドリーに接するがなれなれしい、不真面目だと嫌う人もいた。
彼は運転資金を手形借り入れで短期調達し、販売先のの中堅ブランド社から代金回収があると返済に充てていた。
が、たまに販売先の都合で代金回収が延期になることもあった。そういう時は借入手形を書き換えて借入期間の延長をするのが通例であった。
書き換え用の手形用紙を持参すると社長は工場のパートのおばさんたちと同様にミシンを踏んでいたり、生地をカットしていたりすることが多い。
零細企業の通例で営業も製造も経理も人事管理も全部自分一人でやっている。
奥さんも一緒に工場で働いているがミシンを踏むことしかしていない。
私が手形を持参すると、
「今、手が離せないから、実印も社判(社名の彫られたゴム判の事)も事務所の机の引き出しに入っている。朱肉も黒のスタンプインキも一緒にあるから適当に押しといてくれ。」
社長が押すべきものを銀行員の私が押すわけにはいかないと言うと、
「面倒臭いやつだなあ。」と文句を言う。
「事故があっては困りますから。それと鍵を掛けといたほうが良いですよ。」
と抗議しても聞く耳を持たない。
ある時実印と社判がなくなったが君は知らないかと支店に電話をかけて来た。
私は起こるべくして起こった事件か事故か知らないが社長の怠慢によるものだ。
私に責任転嫁したり疑うのはもっての外と強く言った。
翌日、社長から電話があり実印、社判は妻が持っていた。疑ってすまん。以後は鍵のかかるところで保管すると謝罪された。
今もあの縫製工場の近くを通ると懐かしく思い出す。それにしても何事もなく良かったと思う。そういうことをあのフレンドリーで何事にも鷹揚な社長の顔とともに思い出してしまう。