猛き災いの聖地(たけき わざわいのせいち) 『ホテルニュージャパン』〉

写真集 日本の火災 (報道写真で見る現場最前線)

ボクがオアフ島から帰って来て、ハロルド坂田が死んだニュースが報じられた翌年の1982年、ホテルニュージャパンの火災でボクの高校の時の同級生が亡くなった。彼は優等生で、その時、医者になっていた。医師会の会合で上京し、たまたま、宿をホテルニュージャパンに取ったばっかりに被災した。ご両親も医師をしていたが、その嘆き悲しみぶりは、とても見ていられなかった。全くお気の毒だった。

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ボクなら、この宿は取らなかったと思う。当時、ホテルニュージャパンは、戦後、安藤組に襲撃された黒い噂の絶えない財界人横井英樹が買収していた。オーナーの悪い噂のみならず、1963年にはこのホテルの一階のニューラテンクォーターで力道山が村田勝志に刺されている。68年には、日本プロレスのユセフトルコと松岡巌鉄がグレート東郷をホテルの部屋に監禁し、リンチの上、傷害事件を起こしている。

高校の時から、プロレス大好き、勉強大嫌いのボクは、奇跡的に大学に合格し上京して、まず、先輩に案内してもらった場所はこの呪われた災いの聖地ホテルニュージャパンであった。
まぎれもなく、この場所で、横井英樹が、力道山が、村田勝志が、グレート東郷が、ユセフトルコが、松岡巌鉄が、 確かに生きて、怒って、わめいて、トラブっていたのに違いないのだ。まるでそこは、かつての戦場だった。多くの男たちの魂と魂が激しくぶつかりあった猛々しい夢のあとだった。

初めてその場に立って、ボクはなんとも言いようのない哀しいような懐かしいような錯覚をおぼえた。それは、ボクがバカでぐうたらの大学生だったから感じることが出来たのだろう。
だけど、もし、仮に、優秀な学生で医者になり、プロレスや事件に全く興味がない人間だったとしたら、上京してホテルニュージャパンに宿泊して命を落としていたのはこのボクだったのかも知れない。

悲惨なホテルニュージャパンの火災事故から、三十数年が立つ。亡くなった同級生とはさほど懇意ではなかったが、思い出すにつけ、ご両親の悲しみようが浮かんで来る。今更ながらだが、亡くなった同級生の御霊に慎んで哀悼の意を表したい。どうか安らかにと、願わずにいられない。