戦前戦後を通じ、日本で最高のブギミュージシャンだった笠置シズ子香川県大川郡相生村に生まれ幼少時、大阪に養女としてもらわれて行く。後年ブギの女王として一世風靡するが、戦後、少女歌手美空ひばりが笠置の物真似で売り出すや、芸能界はギャランティーが格安の美空を重用し、大阪弁を喋るオバチャン然としたブ ギの第一人者を疎んじ始めるようになった。美空ひばりの芸能界進出に神戸芸能社が注力したのも、笠置の不運となる。
余談ながら、大蔵省の新人官僚時代の三島由紀夫が大臣の答弁書原稿に「笠置シズ子」の名前を入れてボツになったと言うエピソードは文壇では知る人ぞ知る有名な話である。
ブギの女王笠置シズ子はチビッ子モノマネ歌手美空ひばり母子を生涯、好意的に見られなかったと言うものの、親しみやすい大阪弁と明るいキ ャラクター  でテレビの歌謡ショーの審査員として人気を博した。
 

ブギウギ伝説~笠置シヅ子の世界~

 

今でも笠置シズ子の生まれ故郷を訪れると、「私は、『シーちゃんの従姉妹だ。』」とか、「私は、笠置シズ子の妹だ。」と言う老女に会える。本家ブギの女王の根強い人気を知ることのできるエピソードである。