親の家を片付ける①

実家の相続で困らないために今すぐできる空き家対策

どっから手を付けていいやら、わからん。途方に暮れる。百五十坪の敷地に三棟の木造家屋が建っている。築80年と50年と30年。モノがあふれかえっている。だれかー助けてくれー。って感じですな。

今から六年位前にこんなことを言っていたのですがあれから全く片づけは進展していません。掃除や草抜きには帰っているのですが、火災、空き巣など心配事はあります。

健康寿命と資産寿命

 

健康寿命と資産寿命。
それを考えてどのように行動するのか、どう備えるのか。そういうことを真剣に考えていない人は、たとえ、年金を受給していても、75歳とか83歳で不健康になり、破産してしまうのか?単に生物的に生きているだけで寝たきりで預金も資産もゼロになるというのか?
そういうシミュレーションを国の役人がしましたって、いわれたって、いったいぜんたい、ボクらはどうすりゃいいんだ。
ボクが何をした?
会社と家族と自分と社会のために働いて働いて、厚生年金基金を国に潰されて、受給額を減らされて、受給年は徐々に先送りされて、そのうちに年金受給せずに寿命が尽きてしまう。
こんな僕らに誰がした?
こんな日本に誰がした?

霧の波止場・港のお洒落なバー

若き日のサラリーマンだった嵐山光三郎さんは給料袋を白のスーツのポケットに押し込み、横浜の港の近くのお洒落なバーに飛び込んだが、浅丘ルリ子はいなくて、力道山みたいな体型のママがいた。波止場にも裕次郎はいなかったし、倉庫の裏で不良外国人も麻薬の密輸取引もしていなかった。

東京っ子にもミーハーはいたんだなあと思うと微笑ましい。

どうでもいい話。ダレノガレ明美とホラン千秋とマギー。

どうでもいい話。ダレノガレ明美とホラン千秋とマギー。

ダレノガレ明美ホラン千秋とマギーの区別がつかない。
つかなくても、全然不便じゃない。
そもそも、三人とも知らないし。
そんならなぜ、あえて、区別がつかないというのか?すまん、かかあがそう言ってた。それを受けて、オレなんか、そもそも、何をする人か知らないぞと言いたかっただけ。

ボクの編集者

編集者がボクの妻のことを「どう見ても君より二十歳近く年下にしか見えない。」とお世辞を言った。
ボクは、(決してその手には乗らないぞ。)と固く心に誓っていたが、思いがけずそれを妻に話してしまった。
妻は黙っていた。
こういう時の彼女は表情や発言から真意が測れないので注意を要する。

しばらくして妻の部屋をのぞき込んだら、妻は化粧台に座って自分の顔をのぞき込んでいた。
こういう時の彼女は言葉にしないがうれしがっている状態である。
笑い声とか笑顔は見せないが、力いっぱい目が笑っている。
永年連れ添っているため、言葉を発しなくても、飼い主と愛犬のように相手の心情が分かるのだ。
しかし、このたとえは不適切と非難されよう。
ボクが犬で、妻が飼い主だと注釈しておこう。

それにしても、ボクは、編集者には特別、感謝している。
何しろ、夫婦ケンカの仲裁から、嫁さんの機嫌取りまでやってくれる。
学生時代、プレイボーイであった彼ならではの思いやりである。

今週のお題「私のおじいちゃん」〈じいちゃんがくれたドングリのプレゼント〉

 

じいちゃんが亡くなって、告別式も終わった。
田舎のお墓の横の公園にくぬぎの木が何本かあった。
じいちゃんが亡くなったのはちょうど秋で、今頃のシーズンだった。
くぬぎのドングリが公園の地面一面に落ちていた。
それをボクの幼子たちがキャッキャッと、はしゃぎながら拾っていた。
兄弟はボクの妻にビニール袋をせがんで、二人ともビニール袋いっぱいにくぬぎのドングリを詰めて帰った。
兄が幼稚園で、弟は保育園に通い始めたころだった。
「来年もまた、ひいじいちゃんのお墓参りに来る人?」
とたずねたら、二人とも
「はーい。」
と両手を元気に上げた。
「わしが死んでも、時々はわしのことを思い出してくれよ。」
公園の地面にいっぱい落ちていたくぬぎのドングリは、まるでそう言いながら孫たちへのひいじいちゃんのプレ
ゼントだったような気がしてならない。
今年もまたじいちゃんの命日が来る。
兄弟は成長し、それぞれの幼子を連れてひいじいちゃんのお墓参りに行く。

銀行の話⑩〈落語研究会出身の新人銀行員に余興を強いるバカ支店長〉



4月になると銀行の社内報で各支店に配属が決まった新入銀行員達のプロフィールが掲載される。有名国立大学出身だとか、留学経験ありだとか、インターカレッジで活躍したアスリート等と華やかに各自の経歴が披露される。

A君は関西私立大学の名門落語研究会のOBだった。彼の日常は特にひょうきんでもなく、他人を笑わせようという姿勢もなかった。それは当たり前のことだが、A君は落語という芸能が好きで興味があり、大学4年間の期限内で落語の奥深さや伝統に触れたかっただけなのだ。別に、プロのお笑い芸人になりたかったわけではない。

むしろ、普段の彼は、そういう「クラスの人気者」、「ムードメーカー」というイメージとは程遠かった。寡黙で、順法精神に富んでいて、真面目に人生を生きるタイプだった。お笑いや落語などに興味を持っている人で、そういうタイプの人は、決して少なくない。

ところが、浅はかな心得違いの人たちはどこにでもいるものだ。運悪くA君が新入で配属になった店の支店長がそういう愚か者の典型だった。トップがその有様なので、取り巻きの「バカリーマン」連中は推して知るべしの馬鹿が揃っていた。

銀行内で催されるくだらない宴会の度に、支店長と愚かな取り巻きはAに二言目には「落語をやって見せろ」と強要し、A君が彼らの期待に沿わないと、これまたその都度、罵倒した。

日頃、大人しいA君がそれほどまでに人前で落語を演ずるのを固辞するのなら、その心中をおもんばかってやってこそ本当の上司というものだが、下衆で蒙昧な支店長とその取り巻き連中に解るはずもない。

 「上司の命令が聞けないのか。」
 「本当は落研出身じゃないんだろ。」
 「芸人の真似くらいやれないのか。」

などと口汚くA君を責めた。

そういう出来事があった後、A君は依願退職をした。同じタイミングで銀行本部各部宛てに複数の告発状が郵送された。そこには、A君のいた店の支店長とその取り巻きバカリーマン連中の行った複数の違法行為、不正、犯罪行為の告発が為されていた。間もなく本部からの臨店があり、支店長達は処分された。

 

この事件を思い出すにつけ、ボクは銀行と言う職場の理想と現実のギャップに苦しみ、転職せざるを得なかった若者に同情の念を禁じ得ない。