銀行の話 〈企業倒産の現場〉



ボクがまだ銀行員だった時のことだ。ある倒産事件を思い出して胸が痛くなることがある。

通常、銀行員が倒産の現場に出向いたところで得るものは何もない。苛立った債権者の群れに混じっても、ろくな目にあわない。銀行員は場馴れしていないため、黙っていても必ず周りに正体が知られてしまう。

そして、素人債権者や下請け、従業員たちに囲まれて社長の個人預金はわしらの未払い代金として現金で持って来いと怒鳴られたりすることがある。

たとえ銀行に倒産企業の口座が残っていて、何十万円かの預金があったとしても、何千倍かの回収できない貸出金があるとすれば、銀行こそが不幸な最大の債権者だと言う考え方は否定されなくても良いはずだ。

正式の債権者集会でさえ、銀行だけが一番や二番の上位に抵当権を付けて、借り手が倒産するとすぐ差し押さえ競売を申し立て、涼しい顔して貸金回収をする。そんなふうに思われている。

事実、ボクも銀行員時代は罵声を浴びせられたこともある。しかし、これは見当違いの八つ当りもいいところだ。一般債権者が妬むほどのガチガチの保全主義は、そうでもしなければ、他には何ら強力な貸出金の回収手段やノウハウを持たない銀行にとっては無理からぬことなのである。

では、何ら「担保」「保証」を持たない「信用貸出」の先が倒産したら、銀行はどうやって債権回収をするのだろうか。

「バルク・セル」と言って債権買い取り会社に債権残高に比して、ほとんど二束三文に近い値段で「叩き売り」するのである。

だから、臆病な銀行にとって、信用貸付はレア・ケースである。経営者の人柄や企業の将来を信じて担保も保証人も付けずに貸し出すことはほとんどあり得ない。

しかし、ボクはかつて、例外的に一部上場家電会社の部品製造下請け会社に対して1億円の短期融資案件を実行したことがある。ところが、1億円の融資時点ではN社の資金繰りは破綻していたのだ。

1回目の不渡りを知ったボクは、N社を訪問した。すると既に事務所は債権者で溢れ返っていた。反社会的勢力とおぼしき連中に両側を固められたN社の社長が、社屋から玄関前に停車された黒い大型車に乗せられようとしていた。

社長と目が合ったので、思わず「社長! ギブアップするの?」とボクが問いかけると、反社の若い衆が「こら! 何じゃ、われ! 帰れ!」と恫喝してきた。そしてそのまま社長を乗せた反社の車は走り去った。

未回収確定の1億円の貸出金、自分に対する懲罰処分、そんな些末な不安より、N社の社長に裏切られたと言う感情がボクを責め苛んだ。

社長が連れ去られた後、N社の駐車場に集まった債権者に向かって呼び掛ける怪しげな事件屋の声がいつまでも響いていた。

「債権買うよ~。手持ちの請求書だけでもいいよ。債権額の5%から10分の1で!」

倒産の現場には、債権者と債務者、そして怒りと悲しみしかない。

本屋に荒木一郎さんの「まわり舞台の上で」を注文したら

「ご注文の本が届きました。」
と書店から連絡があり、受け取りに行った。
店の女の子に来店の意を告げるとその子はすぐ、

注文の本を出して来てくれたが、
注文メモをふと、のぞき込んだら、
 
「著者名:イチロー
「タイトル:回り部隊の上で

と書かれていた。

(メジャーリーガーかっ⁉)
(どこの陸上自衛隊だっ‼)

親の家をかたづける 〈結核の母〉

親の家を、片付ければ片付けるほど、嫌な思いが蘇ってくる。というより、嫌な気分になるのも事実だ。親の家の片付けは、過ぎ去った昔を偲ぶことができるけれども、同時に子供のころから味わってきた嫌な事件を思い出すことにもつながる。
ボクにとって嫌な思い出とは100あれば、99は母にまつわることだ。ボクを生み育ててくれた人間を嫌うということは本当に不幸なことだ。ボクは母を送ってから十年経つが、葬式の時にも、法事の時にも、涙が出たことは一度もない。かといって、松居一代さんのように「あのばばあ‼やっとくたばりやがったか‼」などという気持ちになったわけではない。そんなことは決して思わない。

だけど、腹立たしい。母は本当に僕の気持ちを知っていたのだろうか、ボクのことを理解してくれていたのだろうかと考えてみると、彼女はボクのことなど全く考えていなかったと言える。母はどういう人物だったのか?なぜそういう人格が形成されてしまったのだろうか?答えは一つである。


ボクの母親は田舎の没落地主の長女として百姓家に生まれている。兄がいて軍人になった。妹が二人いて他家へ嫁いだ。母はボクに自身の経歴を永年、女学校卒と偽っていた。このことは母が死んでから後に、母の一番下の妹から聞かされた。女学校に入るには入ったが、すぐに、肺結核に感染してサナトリウムに入れられた。戦争が終わる前に病は小康状態を迎え、自宅治療となった。そのこともつい、最近、母の妹から聞いた。

息子の僕が見ても母は、万事、理解力に乏しく、身勝手で自己中心的で知能が低いのでは⁉と感じられるところがあった。字も下手だし、漢字が書けない。いつも、片仮名で字を書く。手紙も書類も片仮名ばかり。ボクは、長い間、こういう母の無教養、無神経ぶりは、戦争前の教育のせいだと思っていた。それは間違っていた。母の最終学歴は、尋常小卒、病が母をそういう人間にしたとも言えるし、祖父母のしつけや子育てが間違っていたとも言える。一番の不幸は、そうした人間として社会生活を送る上での常識を母自身が全く身に着けていなかった事、そして、そのことに関する自覚がなかった事である。


ボクは二十代の後半で結婚した。妻は成人式を終えたばかりであった。ほとんど子供のような妻に対して、嫁に来てからボクの母親は自覚のないまま、酷い態度を取り続けた。ボクがたまに見かねて母に抗議しても、息子の嫁に対してどんなに酷いことをしたという自覚がないため、母は驚いたような表情をするばかりだった。
結婚直前のことであったがボクと妻は母に呼ばれた。用件は二人とも健康診断に行って来いというものであった。ともに二十歳代で勤務先での定期健康診断で異常の無かったボクらは母の意図するところが理解できなかつたが、ボクは勝手に性病検査をして来いと母が言っているのだと解釈した。ボクらの結婚の直前に挙式をした先輩がいて、ちょうど彼が「結婚するので念のため、性病検査を受けてきた。」と言っていたのを聞いていたからであった。

検査結果はもちろん二人ともマイナス反応であった。二人とも身に覚えがないのであるから当然の結果なのだが、ボクはわざわざ妻を連れて健診結果の紙を持って母に報告した。事件はその時、起こった。

小柄で、痩せて、まるで病人のような母は、顔を真っ赤にして激怒した。「私はこんな検査をして来いと言った覚えはない‼」醜い顔をして母はボクたちを盛んに罵倒するが妻はもとより、ボクにもなぜ母がそんなに怒り狂うのか、まるで理由が分からない。ひとしきり怒鳴って、落ち着いた母に「それでは、何の健康診断をしてくればよかったのか?」と尋ねても、阿呆のような顔をしてボクには答えない。

あれから、ずいぶん長い時が経ってボクはあの時母が言いたかったことが分かった。母は自身が肺結核を患ってサナトリウムに入っていたということを父に一言も言わずに嫁に来た。昔は、結核と言えば不治の病である。もちろん感染する。そんな病歴を告白すれば、結婚なんかできるはずはない。母は自分の病歴を隠して父のもとに嫁いで来た。また、女学校にわずかな日数しか、在籍しなかったにも関わらず学歴を偽って女学校卒と言って結婚した。自分は健康体であると偽って父と婚姻した母はボクの妻にこう言いたかったに違いない。

「あんたは結核病患者でないやろね。病院に行って証明書をもらっておいで。」




親の家をかたづける🉂

親の家をかたづけるⅡ〈大変だーっ‼通帳が出て来た〉

親の家を片付けたら、たくさん廃棄物が出て、村役場のリサイクルセンターのおじさんに被災したんか?と言われた。

布団は70キログラム、座布団26枚、木箱8個、可燃ごみ24袋、資源ごみ53袋、この他、剪定、伐採した庭木の枝、落ち葉、雑草などが、乗用車のトランクに積んで6往復。

しかし、まだ、片付けは終わらない。

押入れからは、今も、なお、大量のタオル、毛布、石鹸が出て来る。タオルは新品だが、推定、三十年経過している。洗濯機を回してもよごれが消えない。親戚や友人に使ってもらうと言う事を、なぜしなかったのか?と考えると、わが親ながら情けない。
祖父母の押入れに、大事そうに仕舞われていた大量の預金通帳には1円も残がなかった。
腹立つ。
祖父母なきあとも、わが両親は親戚に形見分け(値段がつけられる骨董品など)をしたあと、衣類、布団、日用品は片付けず、そのままにしていた。
つけが、私に来た。ガーン

しかし、本音は、祖父母両親の時代に触れることができて感謝している。相続財産の受領にだけ訪れた親戚・兄弟には味わうことのできない経験だろう。

今週のお題「読書の秋」 《荒木一郎さんの「まわり舞台の上で」文遊社刊を読む》

ボクの場合、秋に限ったわけじゃないが、今週のお題が読書についてであるから、一言、書く。今、読んでいる本は、荒木一郎さんの「まわり舞台の上で」だ。文遊社刊、定価3200円、562ページもある。歌手、俳優、小説家、魔術師、マネージャー、プロデューサー、演出家、脚本家、企業家等々、いくつもの顔を持つ荒木一郎さんについて、荒木一郎さんのファンでもあるそれぞれの分野の専門家がインタビューをして本にまとめたものだ。

 

余談だが、サラリーマンをしていたころ、複数のマンションのオーナーで資産家の人物を訪問したところ、その人物は数冊の新刊本を枕にリビングルームで居眠りをしていた。なんか、面白いこと書いてありますかと尋ねるとその人は言った。

「きみね。たかだか、1500円くらいの本の中におもしろい話とか役に立つことなんか、ひとつかふたつあればいい方だよ。中には、何の役にも立たない本とか、まったく面白くない本もある。意味の分からない本もある。読んで損したと感じる本もある。金返せと思う本もある。」

今でも、彼の言葉を覚えている。で、今読んでいる荒木一郎さんの「まわり舞台の上で」は、面白いかどうかと言うと、確かに面白い。読んで役に立つと思うし、読んで得したと思う。もちろん、意味は分かるどころか、荒木一郎さんの時代を通じてボクの生きてきた時代も蘇る。忘れていた記憶や父母たちの生きてきた時代のことも知ることができる。くどいが3200円は安い。こういうと、必ず、「ちょうちん記事を書きやがって。いくら、もらってるんだ。」という輩がいる。まったく、馬鹿はどこにでもいる。

ボクは荒木一郎さんとは縁もゆかりもねえわ‼ボクが感じた、そう思っただけだ。気に入らねえなら閲覧するな。ボクは自己満だけで書いている。批判も非難も受け付けないぜ。なにしろ、「読書の秋」だ‼文句があるか‼

第八章・小説家荒木一郎

小説家としての荒木一郎さんに迫る。

ついに、「まわり舞台の上で」第八章だ。

インタビュアーは久山めぐみさん(文遊社)

実は、第八章の後にも、インタビューは続くのだが、ここは、この本のキモだ。

ワクワクしながら、小説家荒木一郎の時代にふれるとしよう。