と言うのはある程度の年齢になると、珍しくないあるある話になってしまう。
ああ、あの人も亡くなってしまったかと言う程度の自分の反応に驚いてしまう
若い時は知人が亡くなった連絡を聞かされるとすごいショックを受けていたものだ。
それが親しい友人だったり世話になった先輩だったりしたらよく泣けた。
今年も新年早々喪中はがきが届いた。
去年の暮れに私から出した年賀状の宛名の人物は私が銀行に入った頃の直属の上司だったが、どうやら去年中に他界されていたらしい。その息子さんから年明け早々に寒中見舞いの文言で返されたものだ。
既に歳は明けているから、この場合、喪中ではない。
私は懐かしく故人の事を思い出した。
彼はよく私の面倒を見てくれて今でも感謝している。だからこそ退職してからずいぶん時が経つのに年賀のやり取りをしていたのだ。
彼は私が入社した頃60歳を過ぎていた。いったん定年を迎え退職し、再雇用の嘱託行員として集金係だけをしていた。資金の貸出も預金の勧誘もしないノルマもない単なる雑用係のようなものである。
それでも彼は顧客と接することに喜びと誇りを持って仕事をしていた。
私は三ヶ月だけだが彼に仕事のイロハと顧客に対するマナーと心構えを学んだ。
彼は65歳を過ぎて嘱託行員としても定年を迎えた。それからさらに30年病気もせず元気に過ごした。晴耕雨読。農家で大地主の家に生まれ先祖伝来の大きな屋敷に家族と住み95歳の天寿を全うした。
今私はであった頃の彼の年齢をはるかに越えてしまった。時の移ろいはまことに早い。 合掌