二日間、微熱が続き、三日目の今日、覚悟して泌尿器科へ行った。頻尿、発熱は、ぼうこうがんの疑いが強いとネットで見たもんで。
検査結果は異常なしでした。なんでもネットを鵜呑みにしないという教訓を得た。(アホだ。)
アホといえば、僕らの高校は購買部でネームプレイトを生徒が自分で自由に注文できたから、父上が昔、税務署長で、ご本人は後に教育長となる若き日の同級生の江戸川 昭君は「安保」という名札を作って胸につけていた。
「本名と関係ないな。ペンネームか?」
とボクがたずねたら、
「いや、おれ、アホやからな。」
と言った。ほんとは京大へ行きたかったらしいが、一浪して、あきらめて、同志社の哲学科へ行った。彼は、アホじゃなかった。
名前と言えば、忘れられない名前の同級生の女子がいた。
高校に入学して初めての学級会の時、奈良女子大卒を鼻にかけた国語の新任教師が、一人ずつ名前を読み上げて顔を確認していた。
「早乙女 遥(さおとめ はるか)」という女生徒の順番の時、新任教師は、驚いて叫んだ。
「まあーっ
なんて、きれいなお名前。すてき
早乙女さんて、どなた?手を上げて。」


「はあい。わたしですう。」
ボソッと不機嫌そうな声がして、髪ボサボサの太った女子生徒が返事をした。
女生徒の顔を見た瞬間、教師は大きく目を開いて驚きの表情をした。そのあと沈黙が続いた。
「........。」
新任教師の表情は、自分が勝手に想像した美のイメージと現実との乖離に対する失望感を、見せていた。
(えっ
こんなブスが、早乙女 遥?)

そう顔に書いてあった。
失礼な奴だなと皆、思ったと言っていたが、この時、教師を糾弾するものは誰もいなかった。
唯一、ボクが、馬鹿にされた早乙女さんのために後日、新米国語教師に意趣返しをしてやった。
授業中、この教師が、午後の栄光・三島由紀夫と黒板に書いた時、
「せんせー。字が違うぞなもし。『午後の曳航』ぞなもし。最近の奈良女はレベルが低いのう。」
と言ってやった。
ボクは卒業までずっと国語の点が悪かった。
結局、ボクが一番アホだ。