ある時地元の大地主の一人息子が二年目行員でボクが勤める田舎の小型店舗に配属された。なんでも一年目に大型店に配属された時に出社拒否症が出て新入後丸一年で異例の人事異動となったそうだ。
甘やかされて育ったから銀行では使えない男になったのだなと思った。
初対面の時、ボクは野球に例えてきつい物言いをした。
「君の親父さんが大リーガーでも君は草野球レベルにも達していない。だから雑巾がけからやってもらうぞ。」
彼はそう言われて横を向いてへらへらしていた。
それから支店で上司一人部下一人の融資業務がスタートした。勤務中は接客や融資業務の指導にあて、帰りがけには飯を食べながら競売や債権回収のノウハウを教えた。
延滞先の追い込みや裁判所、法務局周り、大口法人先の定例訪問にも同行させた。
彼は楽しそうに仕事をしてボクの下で働いた二年間一度も休暇を取らずに働いた。
失敗したので叱ったら反発したり、大口案件を成約したので一緒になって喜んだりして、そのうち彼はめきめきと実力をつけて行った。
ボクも彼を優秀行員に支店長あてに推薦した。そのあと定例異動でボクは他の支店に転勤した。
転勤後一年くらいしてボクは網膜剥離の手術で入院した。術後、目の不自由なボクの病室に彼が見舞いに来てくれた。声だけ聴いたが元気そうだった。二週間でボクは退院したが、職場に復帰したとき彼の退職を知った。
ボクが転勤した後彼は出社拒否症がぶり返して長期欠勤の後医師の診断書を持参して退職を願い出た。病名は「双極性障害」であった。
彼はボクとともに働いた二年間は症状は出なかった。病気のことも信じられなかったが優秀な金融マンとしての彼の素質ももったいないと思った。
その後ボクは退職してローカル線のターミナル駅で偶然彼と再会した。聞けば中途退職してから一念発起して社会保険労務士試験に合格し、今は事務所を経営していると言っていた。
「先輩に雑巾がけからやり直せと教わったのでなんとかめげずにやってます。」
別れ際にそう言った彼の言葉が今もボクの耳に残っている。