顧客の住宅ローンのアドバイスは出来ても従業員への指導は知らん顔なのかと辛くなる。個人の勝手だと言えば楽な話だが、定年後も借金に苦しむ銀行OBなどと言う話は悲し過ぎる。
また、住宅ローンの返済負担を軽減するため、例え、借り替えに少なくない費用(借り替えるには抵当権抹消設定費用や銀行の手数料、保証会社への保証料などがかかる)を負担しても取り組むことは契約上の自由であり、個人の生活をより良くしたいと願う幸福追求権を奪うものではないか。
それを何の権利があって、たかだか銀行OBの親睦会の会長ごときが「当行」などと現役の銀行員たちに類が及びかねない発言をするのかと、〈彼〉は憤慨した。
銀行OB会の会長は退職した元銀行員に過ぎない。つまり、会長のかつての勤務先は彼らにとっては「当行」ではない。つまり、こんな手紙や発言をする立場にはないのだ。あまつさえ、契約の自由や幸福権の追求をも侵す法律違反、憲法違反の疑いを会長は考慮しなかったのだろうか。
推測するにこの会長の思い上がった誤解は、いまだに自分がかつて、勤務した銀行に対して、自分が厳然たる影響力を持ち続けているのだと言う錯覚、いや妄想と言ってもいいだろうが、それらに原因している。
人間は年を取ると朦朧として若き日の自分と今の老いた自分との区別がつかなくなる。回りに及ぼす迷惑に気がつかなくなる。
こんなOB会には暇があっても行く気になれない。否、退会しよう。〈彼〉は哀しく結論した。